悲しい日の話
生きていると悲しい気持ちになることがある。
それは例えば今日の今とか。
昔は週に一度は生まれてきた事を後悔していた。
理由はいくらでも出てくるが、それでいて理由なんてなくても同じなのだ。
自分がここに存在しているという状態に耐えられないと感じていたからだ。
私はこれを、自己の精神的問題を探す事で解決しようと試みた。
心理について勉強したり、調べたり。
そうすることで、精神の欠陥を埋め立てようと考えた。
そうすれば、きっと自分から苦痛は消えてなくなると思ったから。
そうしているうちに、心の淀はいくらか流れ出ていった気がする。
自分のあり方や、考え方に、疑問を持つことは少なくなった。
しかしそれで人生が軽くなったかと言うと、そうでもないのだ。
今日の私ときたら、今にも泣き出しそうなくらい悲しくて仕方がない。
そして外で風が吹く音が、猫の悲痛な鳴き声と違うのかわからない幻聴を聞いて、余計に落ち込んでいる。
私は疲れると幻聴を聞く。
シャワーの流れる音がメロディになって聞こえる事もある。
そこに音楽が流れていないと知っているのに、音が聞こえてくるのだから不思議だ。
まあ、ともかく今日の私は悲しむ理由なんてどこにもないのだ。
強いて言うなら、仕事で凡ミスをしていた事とか、忘れていた解決をしないといけない事が頭を悩ませているけれども。
しかしそうではないのだ。
おととい、駅のトイレに全てのカード類を流しかけた時よりはマシなはずなのだから。
結局の所、苦痛を感じるのは肉体があるからであり、感じるのは脳のご機嫌次第なのだろう。
最近の私と来たらこの肉体を着ている事自体が耐えられない。
着ていると感じるくらい違和感がある。
体の色々なところが少しずつ痛い。
そして今の私は悲しい。
しかし、もしも体の状態が万全なら、全てにおいて取るに足らないと感じる事ができるんじゃないかと思っているのだ。
そうなったらいいなと思う。
肉体を脱ぎ捨てないといけなくなるけれど。
ビリビリに破いて。