2021/06/22
勝負事に関して、負けるから戦いたくないというのは姿勢として正しくないというのは共感する。
しかし、次は勝てるかもしれないから頑張れというのは嘘というか無責任じゃなかろうか。
最近は、諦めるなとかそういう考え方に毎回とても傷つくので、理由を考えていた。
自分の感覚に一番近い言葉を選ぶなら、
お前の努力が足りていなかったと言われている気分になるからだろうか。
私がもう挑戦したくないと思うのは、あれ以上の力はもう出せやしない事がわかるからだ。
私が望む結果を得るためには条件が変化しているという事でしか望みがない。
それならやっぱり、何かを望むことなんか無駄なんだろうか。
そもそも、私はあの時リスクを取ったのだと思う。
なんというか、肉体的に損傷を受けたわけではないが今現在の自分はあの時には持っていた物を喪失している気がする。
そういえば、私が見ている動画でサイコパス的犯罪者は燃え尽きという状態になるともはや犯罪を行わなくなるという説明をしていた事がある。
それを見た時は、元々の気質である事に興味が無くなるというのがよくわからなかったが、精神的なエネルギーの喪失なのかもしれないな。
性格が変わったんじゃなくて、行動を起こすほどのエネルギーが無くなった。
そうかもしれない、私も最近は元気がないからな。
昔の私なら、アイアン・メイデンの針に全身を貫かれても意識を保っている自信があったけれども、今の私はそのまま意識を失って死ぬことになるだろうな。
いや、過去の記憶がそれのイメージと同じ位痛かったから、なんとなく例えてみただけだ。そんな事、されたくはないしどのみち死ぬ。
もしなんでも答えて貰えるなら、これからチャレンジしようとしている事が上手くいくか教えて欲しいと考えている。
上手く行かなくても、私は別に困ったりはしないけれど、まあ、悲しい気分にはなるだろうな。
どんなふうに悲しいのかというのが問題で、私がまた他者のことを舐め腐った目で見るようになるのが、悲しいのだ。
それは自分が無能であるより悲しいかもしれない。
書いていて、少しわかったかもしれない。
主義とか思想とか価値観の為に否定されるなら、それは私にとっては満足出来るものなのだと思う。
しかし、生活があるとか立場がどうとかお金がどうとかそういう、格好悪くてどうしようもない物が理由で否定されたとしたら、多分悲しい。
だって、それを大切にする事に問題はないし、それでいて対話の余地がないのだから、虚しいじゃないか。
うん、そうか。
だからもう戦いたくないのか。
人の心を動かしたとしても、お金には勝てないもんな。
だから、会話する事に意味がない。
ああ、なんだかとても納得した。
私が欲しかったのは、そういうしがらみとか社会で生きていく為に大切な物を捨ててくれる存在だったから。
そりゃあ、誰を見てもこいつ等つまんねーなと思うわけだよ。
それを大切にする理由も、価値もわかってるけど。
でも、人間の意思より大切とは思いたくないね。
集団の和とかさ、そこから出れば自由になれるって事を忘れちゃうような場所、嫌いだよ。
私は本当に、集団が嫌いだな。
自分にとって好ましい物であった例がないから。
でも最近は、もしかしたら運が悪かっただけかもしれないと考えてたりする。
自分にとって、貢献したいと思えるような集団に属せるといいけどね。