kutidasikutibasiの日記

個人的な日記

ヒーローが居ない世界

誰かが救われる話は嫌いだ。

 

その思想が嫌というわけじゃない。

でも、自分が必要な時にはいつも誰も居なかった事を思い出してしまうから、悲しくなる。

適当に生きてきたわけではないつもりだ。

生きるために、必死に願ったり、誰かに手を伸ばしたり、努力したりしてきた。

でも、伸ばした手を取ってくれる存在は居なかった。

 

この世にヒーローはいないのだ。

現実に正義は必要ないから。

集団にとっては正しさよりも調和が大切にされる。

もしも正義の味方がいたら、やはりアメコミヒーローのように苦しむ事になるだろうね。

 

それでも救われたいのだ。

だから、ヒーローが居なくたって幸せになれると思わせて欲しい。

 

何もかもが粉々になって、どうしようもなくなっても人は幸福に生きられるのだと思いたい。

 

私の好きなアニメに妄想代理人という物がある。

 

あの物語に出てくるのは悪役と、残りは矮小な一般人だけだ。

ヒーローは居ない。

ヒーローの役割をこなそうと努力した一人は、現実から見れば頭のおかしい様子になっている。

あの物語の視点はどこまでもドライで、登場人物に物語的な誤魔化しを許さないのだ。

 

でも、だからこそ物語を思い出す時、救われたような気持ちになる。

どうしようもない人間が、そのまま不格好に生きている現実がそんなに悪く無いと思えるから。

 

 

引きこもりだった頃に、眠る前、神に祈った事がある。

すべてが苦しくて仕方がない状況から、なんとか助けて下さいと本気でお祈りをした。

もしかしたら、何かきっかけが見つかるんじゃないかと願っていた。

 

しかし朝になり、何も変わらないままそこで目が醒めた。

その時静かに失望した。

本当の本気だったからね。

 

そうして私は感情とはなんの影響も及ぼさない物であると考えるようになった。

願いなど価値がない、行動こそが意味があるのだと。

 

その後に、行動も能力がない者は何をしても意味がないと理解するのだけれど。

 

こうして書くと、人生で失望してばかりだな。

そのおかげで、何をするにも無駄だと感じて生きている目標も見つけられなくなってしまった。

 

だって、願いも努力も無駄だと自分で証明してしまった。

 

他にやっていない事はあるだろうか。

自分が出来る事はすべてやった上で、失望しているのだから合理的だと思うのだけれど。

 

でも、死ぬことが出来ない以上、何かはやらないといけない。

他にやっていない事があれば良いけれど。

 

自分で言うのもなんだが、私はネガティブなわけではない。

ただ、とりあえず言っとけば良いみたいな、努力信仰とか励ましとかが大嫌いなだけだ。

 

逆に、やってもいないのに無理だと言うやつも嫌いだ。

でも、修造理論は危険なので真似はしないほうが良いと思う。

次のチャレンジで壁が壊れるとしても、そのパンチを打って死んでしまっては意味がない。

例えば私のように、心が本気で折れる事になる。

 

まあ、だから、生きているのが辛いわけだ。

本気で生きるもんじゃないな。

 

それとも、自分が生きるのに向いてないのかもな。